天国は存在するか?

意識は脳が作り出す幻想ではないのか?

本日のぽんちょのオススメはこちらです



 
全米200万部突破! AMAZON.COM&《ニューヨーク・タイムズ》1位の世界的ベストセラー! 生死の境をさまよう医師が見た「天国」とは?
 
京都大学教授カール・ベッカー氏 推薦
「日本人にとってこそ必読の一書として推薦したい」
(本書解説より)」
 
名門ハーバード・メディカル・スクールで長らく脳神経外科医として治療と研究にあたってきたエベン・アレグザンダー医師。
ある朝、彼は突然の奇病に襲われ、またたく間に昏睡状態におちいった。

脳が病原菌に侵され、意識や感情をつかさどる領域が働かないなかで、医師が見た驚くべき世界とは?
 
死後の世界を否定してきた著者は、昏睡のなかで何に目覚めたのか?


この本はある男性の臨死体験を語った本です

その内容は古くからよく聞くような話で、取り立てて目新しいことはありません

いわく、光りの渦だとか、天国のような世界だとか、亡くなった故人に会うだとか


まあ、子供の頃はこういう話も好きでしたがすっかり大人になってしまったぽんちょ、こういう話を娯楽としても純粋に楽しめなくなってしまいました


ところが、ある一点においてこの本は通常のオカルト本の域を越えています

それは、経験した本人がそれまで死後の世界などまったく信じていない脳外科医だったということです

それもただの脳外科医ではありません。
ハーバード・メディカル・スクールで脳神経外科の准教授として15年間勤務し、医学雑誌に150本も論文を掲載し、世界で開かれる医学会議で200回を越える発表を行ってきた、一流の脳の専門家です。 


  • 「意識」は脳が作り出している・・・んじゃないの!?


意識や心は脳が作り出している
そのメカニズムはまだハッキリとは解明されていないものの、脳がすべての根元であることは間違いがない
たまに蘇生した患者や死を前にした患者が臨死体験を語ることはあっても、それは脳が見せる幻覚だ、と心から信じきっていたという著者

その自分が、まさにその、いわゆる「臨死体験」をしてしまったのです


著者が語る「死後の世界」はとても幻覚とは思えない現実以上の現実感があったといいます

その世界では、言葉による理解ではなく、問いを投げかければ瞬時にして答えが理解となって降り注いでくる
自分の存在はすべてと繋がっていて、感情の喜びは自身の内部だけでなく、外部にまで影響して空は歌い輝き、悲しめば雨が降るような世界との一体感があるといいます

身体という物質を持たず、純粋な意識のみが存在していて、それは小さくなることも出来れば、宇宙全体にまで広がるような感覚があった

さらに時間の流れは、この3次元の物質世界とは違い、一直線なものではないということです
時間に関してはあまり詳しい説明がなされていなくて、ちょっとぽんちょもうまく書けませんが・・

というのも、書かれていることはすべて、目覚めたあとの著者が見てきた世界(それは言語での理解を越えたもの)を改めて言語に「翻訳」して書いた、と著者自身が言っているのであくまでも言葉で理解出来る範疇に書き起こしているため、読む側としてピンと理解出来ないことがあるのかもしれません

そして著者は、その世界である存在を感じたといいます

それは著者の表現を借りれば「オーム」全能の神のような存在

森羅万象の創造主のような存在

著者のエベン氏はキリスト教圏の人物ですが、それはキリスト教における「神」とは違うものとして「オーム」という表現を使っています(そのおかげでキリスト教団体からの非難もあったようですが・・・)

宇宙にはある意志が存在していると書いています

その「存在」が伝えてきた3つのメッセージ


メッセージはそよ風が吹き抜けるようにして伝わり、真実を伝えていることが瞬時にわかった。
自分のいる世界が実体のない幻想などではなく、現実であることがわかったのと同じようにして、それがわかったのだ。
メッセージは三つの部分で構成されていた。それを地上の言葉で言い換えれば、このようになる。

「あなたは永遠に深く愛されています」
「恐れるようなことは何もありません」
「あなたのすることには、ひとつも間違いはありません」

著者のエベン氏が受け取ったというこのメッセージ
その本質は「愛」
宇宙には、わずかな邪悪はあるものの圧倒的な「愛」で満ちていると言います

「愛」

エベン氏は、この体験とメッセージを人類が共有すべき知識として広く伝えていかなければという使命感で自身の医師としてのキャリアを顧みず、体験を本にし、メディアにも出て語るようになったのです

また、脳神経外科医としての立場から自身の体験が、これまでの脳科学でいかに解明が不可能なものであったかを証明するために様々な仮説を検証しています

専門的な知識のないぽんちょには、その検証が正しいのかどうかの判断は出来ませんが、エベン氏によれば、臨死体験中の脳の状態は幻覚などを見ることの出来るような活動は一切していなかった
つまり、意識は脳の活動から完全に切り離された状態だったということです


この件について脳科学者の茂木健一郎氏はこのようにツイッターで発言しています


 

脳の活動とは無関係といいながら、目覚めたあとに「記憶」を思い出しているのなら、やはり脳に記憶は残されている、それは脳内での活動があったということではないのか、ということでしょうか

とはいえ、このエベン・アレクサンダー氏の著作は全世界で賛否両論を巻き起こし、日本でも数々のテレビ番組で紹介されるなどの反響を引き起こしました


  • 意識と宗教と量子論


さて。
ぽんちょはこの手の話しに関して、拒絶反応もなければ盲信もありません
そもそも、意識のメカニズムに関して科学的に完全に解明されでもしない限り、科学では今のところ完全に否定も肯定も出来ない事象です

このところ「意識は脳内の神経回路が作り出している」という観点の本を何冊かレビューしたぽんちょですが、まだ未知の領域があるのかもしれない、という思いも、実のところ捨てきれません
(※参照記事/あなたは「意思」で自分の行動を決められない!「意識は傍観者である」を読む「私」はコントロール出来ないんだから、落ち込む必要なんてないってby豆腐メンタリストぽんちょ


というのも、最近「量子力学」に関する本を読みました
量子論はいずれ詳しく調べてみたいと思う事柄なんですが、なにしろ難しくてどこから手を付けてよいものかわからず二の足を踏んでいる所です

で、ちょっと軽めな「重力とは何か」という素人さん向けの本を読みました



その中で、ニュートン力学から、特殊相対性理論、一般相対性理論をわかりやすく説明して、最後に量子論、超弦理論へと話しが進んで行くのですが・・・

まあ、正直後半はチンプンカンプンでした・・・

チンプンカンプンながら、いかに量子というのがぽんちょたちの常識を遥かに越える世界なのかということは少しだけ理解できました

なぜ、量子論が気になるかと言えば、量子論を突き詰めて行くと、宗教になってしまう、という話しを聞いていたからです

量子の動きは観測されるまで確定しない、と言います

起こりうるすべての可能性がそこには存在している、それが観測されるまではすべてが同時に存在していて、観測されることによってその形が確定する

あるいは同時に別の場所に存在することが可能であったり、テレポーテーションなどの瞬間移動も量子の世界では、情報レベルでは実験に成功していて、インターネットに活用されるようになるのもそう遠くないと言われています(量子ネット)

こんなわけのわからない世界を論理的に説明するためには、11次元の存在を想定しなければならないらしいです

11次元までくるとさっぱり理解不能です

ぽんちょたちの住む3次元(縦、横、高さの空間)+時間の4次元世界では、それより次元の低い2次元や1次元を説明することは出来ても、5次元、6次元の世界を説明するどころか理解することは絶対に出来ないんだそうです

それが11次元もあるという


エベン氏の不可解な世界の話しも、量子という次元の世界を考えれば、あったとしても不思議でもないのかもしれません

しかも、量子の世界では「観察」されるということが重要なのです
「観察」されることで初めて量子はその姿を確定するんです

「観察」とは何かと言えば、人間の「意識」の介在ということ

「意識」が「物質」になんらかの影響を与えている、ということなんでしょうか

ここでもやはり「意識」というものの謎が浮かび上がります

「脳」という「箱」の中で起こる現象が「外の物質」に影響を与えるなんてことがあるのでしょうか

それとも、「意識」は脳を超越したものなんでしょうか


エベン氏は体験の中からこう結論づけています

意識はこの3次元の物質世界を経験するために、脳によってその活動を制限されているのだと

つまり、ぽんちょたちはこの世界を見たり、聞いたり、感じたりするために、本来宇宙全体まで認識して広がる高次の存在である意識を、制限してこの3次元世界に繋ぎ止めている

そして、物質的な生命である身体が死んだ時にその制限はまた解放されて「意識」は無限の愛で満ちあふれる宇宙へとその存在を解き放っていく


意識は観測可能な超極小なミクロの物質なんでしょうか
まだ発見されていない未知のダークエネルギーのような何かなんでしょうか

仏教の世界では、こういった神秘体験すら瞑想の副産物的なものであり、通過点でしかないと言っています
それに囚われその世界に遊ぶことは「魔境」と呼ばれ成長を阻害するものだと

グレートジャーニーの著者である関野吉晴氏も、山奥の僧院で出会った僧侶は窓一つない部屋で、瞑想中に3日後に訪れる来客の存在を認知するという神秘的な場面を目撃していますし、写真家から仏教徒になった野口法蔵氏もチベットの山院で、瞑想中の僧侶が窓から見える向かいの山の頂上の情景を見てきたかのように詳しく話し、実際にその山の状況とそれが一致していた、などの体験を著作に記しています


まだまだ人間の「意識」というものは多くの謎を秘めている
エベン氏の体験ですら、まだその入り口なのかもしれません

「意識」「宗教」そして「科学」

これらが統合される日が、いつかやってくるのかもしれないと人知れずワクワクするぽんちょでした
 









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