今こんな本を読んでいます

累計100万部突破!! 仕事と人生に効く「よのなか科」特別授業 ―― 読書の効能

 あなたは「なんで、本を読んだほうがいいのか?」という質問に答えられますか?
親や先生は「本を読みなさい」と言いますが、その素朴な疑問にきちんと答えられる人は少ないのではないでしょうか。
 本書は、「人生における読書の効能」について、リクルート社で初のフェローや東京都の義務教育で初の民間校長を務め、
「よのなか科」という現実社会と教育をリンクさせた大人気の授業やベストセラーで知られる藤原和博氏がひも解いていきます。


 こりゃー読書習慣がある人にとっては興味のひかれる煽りです・・・

こんなタイトルに魅かれてしまう時点、僕自身も本をいろいろ読みながら「これ、結局なんか役にたってるんだろか・・・立ってて欲しいな」なんていうよこしまな考えがあるわけです
この本は、読書習慣を持つ事がいかに大切なことなのか、どんなメリットがあるのかを様々な視点から紹介しています

今回はその中から、僕が引っかかった「想像力」について紹介してみようと思います

意識




読書によって想像力が磨かれる


読書をしているときの脳は、ほかの活動をしているときとは違う働き方をする

読書が脳に与える影響を研究している東京大学大学院総合文化研究所の酒井邦嘉氏の著作「脳を創る読書」によると



「本を読むという行為は、決して情報を得たいというためにやることではなくて、むしろ自分のなかからどのくらい引き出せるかという営み」

だという

酒井氏はテレビを観た場合と読書をした場合の脳の活動を例に説明しています

テレビを観た場合は、映像を脳の「視覚野」でとらえ、ナレーションは「聴覚野」でとらえているが、テレビは次々と新しい情報が送られてくるため、脳は入ってくる情報の「意味」を理解することで手一杯になり「表層」を理解することにとどまってしまう

一方読書は活字を読んだ情報が脳の「視覚野」に入る
そこから情景をイメージするため、過去の記憶の映像が引き出され脳の中にイメージが作りだされる

黙読しているときも、音声化できる活字はいったん脳の中だけの「音」に変えられ、記憶との照合によって自動的に単語や文法要素(たとえば「てにをは」)が検索される。検索された情報は、さらに単語の意味や、文を作る文法を分析するため、別の「言語野」へと送られる。そこで初めて「読む」という行為が確かに言語と結びつくのである
「脳を創る読書」より

映像をただ受動的に脳が受け取るテレビと違い、読書はそこから記憶と照らし合わせる、さらに得られた情報から自分で自分の考えを構築するというプロセスが入ってくる

この繰り返しが脳の「想像力」を養うことに繋がるといいます

さらに言えば、読書は読むペースを能動的に読者がコントロールできます
これらの脳のプロセスを行う「時間」を持つ事ができるのも大きいと思います
テレビは一定のスピードで、ともすればどんどん早くなる演出によって、「刺激」だけを受動的に受け取ることで精一杯になりかねません
脳的には快楽を得られるかもしれませんが、想像力の入り込む余地が奪われてしまっているのです

明かり



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解像度の高い映像は想像力を奪う!


さらに藤原氏は解像度の高い映像は脳の想像力を奪うといいます

すべてが詳細に見えてしまえば、あいまいな部分を想像する必要はない

次から次へと視覚に飛び込んでくる映像を処理することで精一杯になり、映像を観てイマジネーションを働かせる暇がない

テレビや動画のつくり手側も、あまり受け手にイマジネーションを要求するようなことはしなくなる

これを読んで以前宮崎駿氏のドキュメンタリーを観た時に、宮崎駿氏の使用しているテレビのエピソードを思い出しました
 
その番組の中で宮崎氏は古びたテレビを愛用していました
映像もハッキリ写らず、色味もおかしい
他の人に「これで見えるの?」というようなことを言われても「これでいいんだ」と言っていました

宮崎氏は想像力を鍛えるために、あえてそのようなテレビを使用し続けているのかもしれません
そんな宮崎氏が、番組のラストシーンでは、夕日をじーっと眺めて
「今日も世界は美しい」とつぶやいていたのが印象的です


最近のテレビは4Kだ8Kだと、映像の解像度がどんどん良くなっているようです
もう8Kあたりだと「肉眼でみるよりもキレイ」とかいう訳の分からないことになっているそうです
それならもう個人の視力の問題じゃないですかね・・・

そんなに解像度の高いテレビで夕日を観ても、実体験には絶対にかなわないと僕は思います


最近ではバラエティーにとどまらず、どんな番組でもわかりやすく会話のテロップが画面に表示されます
音声を消してもなにを言っているかわかるくらい

あれも僕は、もう受け手の想像力を信頼していないというか、想像力の入る余地がないような気がしてしまいます

想像力は映像だけにとどまりません

以前友人のマンガ家からこんな話を聞いた事があります

「最近は、登場人物の思っていることを台詞で書かないと理解されない、受けない」

台詞やテロップで明確な答えが表示されないと、わからない
それはまさしく「想像力」が衰えているとしか思えません

描き手としては、どうしても台詞で描きたくない、という部分があります
描いてしまえば安っぽくなったり、読者の中に余韻を残したり、まさに「想像する余地」というのを奪いかねないからです
そのためにいろいろと工夫をする
言葉で伝えれば簡単ですが、それを言わずに伝えるためにどうすればいいのか、ということを考える
 
「伝わらないのは作家の技量だろ」と言われればそうなのかもしれません
伝える側もその努力を放棄してしまえば、責任の一端は作り手側にもあるのでしょう


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想像力は現実を超える


みなさんも、原作の映像化というものを観てがっかりした経験はないでしょうか
それは、無意識的に自分の中に「想像」のイメージがあるからです
そしてその「想像力」はいつだって現実よりも「豊か」なんです

作り手側にも「想像」がある
それをいかに形にするかで悩み、伝えるかで悩んでいます
それを読者と共有出来たとき、なによりの幸せがある

物づくりとは決して一方通行のものではなく、お互いが作り上げて行くものだと僕は思っています

いま、ネット文化でさらに「想像力の欠如」が加速されてきているような気がします
ネット上で受けのいい記事は「わかりやすく、簡潔に、答えが得られる記事」だからです

映像文化が発達しすぎた結果、僕らは想像力を失いつつあるのでしょうか

それを取り戻すためには、読書は非常に有用なツールになることは脳の活動的にも実証されているということです

本を読んで想像力をアップしましょう!
想像力は、豊かな世界観を自分の中に与えてくれるのです




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