(こういう小説があるんだ)
と、まずは驚きの感想
というのも、内容が完全に部活青春ものだったからで、漫画では逆によくある設定だけど、小説ではあまりそういうジャンルを読んだことがなかった

それも、柔道部ものの半自伝的小説、となれば読まずにはいられない

たまたま柔道漫画を描いている途中だったことも手伝って読んでみた


あらすじ
北大、東北大、東大、名大、京大、阪大、九大の七校で年に一度戦われる七帝戦。
北海道大学に二浪の末入った増田俊也は、柔道部に入部して七帝戦での優勝を目指す。
一般学生が大学生活を満喫するなか『練習量がすべてを決定する』と信じ、仲間と地獄のような極限の練習に耐える日々。
本当の「強さ」とは何か。
若者たちは北の大地に汗と血を沁みこませ、悩み、苦しみ、泣きながら成長していく。圧巻の自伝的青春小説。

smile


読み終わって、自分の高校時代を思い出して、もう熱くなるやら苦しくなるやら・・・共感しっぱなしの、僕にとっては極上の青春群像ものでした


ただひたすら苦しいだけの毎日

「なんでこんなことやってるんだろう」と思い続けた日々

色んな思い出とともに、ただひたすら苦しい練習に明け暮れる主人公たちに共感しつつ、一気に読み終えてしまった

舞台になっているのは北海道大学の柔道部なんだけど、やっているのはただの柔道じゃなく「七帝柔道」と呼ばれる、いわゆる寝技主体の柔道だ

戦前は「高専柔道」と呼ばれていて、その名前と寝技主体の柔道をやっている、というくらいには知っていたし、僕の先輩も確か何人か行っているはず

しかしその詳しい詳細は本書を読んで初めて知った

講道館柔道が、七帝柔道の寝技を封じるためにルールを改変したこと
いまもその「七帝ルール」での試合が行われていることなど

ちなみに一般に「柔道」と呼ばれているのは「講道館柔道」のことで、正確にはいわゆる数ある柔術の流派の一つ

言ってみれば「講道館流柔術」あるいは「嘉納流柔術」だ

(この講道館柔術聡明期を舞台にした夢枕獏氏の小説「東天の獅子」も面白かった)

結果的に講道館柔道が一般に広まった

その過程で、これはすべての武道に当てはまるかもしれないけど、ルールが厳格化され、よりスポーツライクになっていく

空手、柔道、剣道しかり

これはもう仕方ない

もともと武道は命のやり取りをするものだから、とても試合なんかでは使えない技も沢山あった
でも、時代と共に、命のやり取りをする場面なんてなくなっていくわけだから必然的にスポーツ化していく
広く一般に広めるためにはえげつないものは排除されていく

実際東天の獅子にはそれらの技が出てくるけど、それこそ目に指を突っ込むだとか口に指を引っ掛けて返すとか、そりゃ試合じゃ使えんわな、って言う技もある

と、話はそれたけども、この七帝柔道というのもどちらかといえばそういう「武道柔道」を守るという意味合いもあるそうだ


02




寝技主体

これは経験者だから言うけど、ホントにキツイ
寝技の練習は立ち技の倍くらい疲れる

作中ではその寝技の乱取りを20本も30本もやるというから尋常じゃない練習量だ

おまけに技が決まると苦しい
立ち技も変な落ち方で投げられればもちろん痛いけど、寝技の場合はとにかく苦しい
抑え込まれれば呼吸が苦しいし、締められればもちろん呼吸ができない
関節技に至っては本能的に悲鳴を上げたくなる

他人が本気で自分の首を締めに来るって、ホントに怖い

その辺の描写はこの小説の中にもリアルに描かれている

苦しくて涙がでる

なんだかわからない涙が出るんだよね、苦しすぎると・・・

しかも七帝では「参った」をしないという
試合で関節技がガッツリ決まれば、柔道では「見込み一本」と言って審判が止める
これすら、あまり取らないんだと書いてあった

えっ!?ホントに?
ちょっと考えられない

締めは落ちちゃう(気絶)けど、関節なんて耐えられるもんじゃない
っていうか、耐えれば折れる

首を締めたり関節を曲がらない方に曲げられたり、それも逃げられない状況でやられると、もう本能が死の恐怖を感じてしまう

僕も練習中、初めて先輩に落とされたことを覚えている

寝技の練習中、先生の目の届かない道場の片隅で先輩数人で抑えられて締められた
「参った」をしようにもその腕を別の先輩に抑えられて参ったが出来ない状況にされて締められて落ちた

あれはホントに怖かった
呼吸が出来ない苦しみを通り越すと、ものの数秒で顏がうっ血して真っ赤になり視界が狭く頭がボーッとしてくる
身体がしびれて手足の感覚がなくなって、音が遠ざかったかと思うと意識を失う

目覚めた瞬間には、記憶が飛んでいて何をしていたのか忘れている
なんでいまここに自分がいるのかもわからない

「あれ?」ととぼけた声を上げて先輩に殴られた覚えがある

作中では何度も何度も練習で落とされる

苦しみと恐怖と悔しさが入り交じる気持ちが、自分の高校時代と重なった

smile



とにかくこの作品、読んでいて「あ〜・・・わかるわ〜」と何度も心の底から共感してしまうシーンがたくさんありすぎる

どうやってもかなわない相手に、人間の尊厳すら叩き潰されるほどにメチャクチャにやられる
それまで生きてきた自分というものの価値を粉々にされる感覚
ただ「強い」ということだけが正義
何を考えていようが、どんなヤツだろうが、道場では弱ければゴミ屑同然

練習、練習、練習の日々

それ以外のことをする余裕もない

 
僕も高校時代を思い返すと、練習以外の記憶があまりない


作中で「柔道が好きだからやってるんでしょ」と一般人に尋ねられるシーンがある

それに答えて主人公たちは

「好きじゃない」

と答える



「トップクラスの柔道家と練習するようになって、自分の肉体的弱さにも精神的弱さにも向き合わざるを得ず、苦しいだけのものになっていた」


このシーンが、なんともいえず大好きだ

なぜなら僕も、柔道をやっている時も、本気で漫画家を目指しているときも、同じことを思っていたから

よくマンガを描いている時
「好きだから続けてるんでしょ?」
「好きなことがあっていいね」

なんていう風にいわれることがよくあったけど、僕は正直あまりマンガを描いていて「楽しい」とか「好きだ」とか、思っていなかった

もちろん、描くことは子供の頃から好きだったし、漫画家を目指したのも好きだったから
だけど・・・

レベルが上がって行けば行くほどに自分の実力のなさがわかる
自分の弱さがわかる
描けば向き合わざるを得ない
それでも描き続けなければ、上がって行くことが出来ない

柔道は、正直この作品の主人公たちのように「本気」ではなかったけど、マンガは本気でやった

だからその辺の気持ちがすごく理解できて、変な話、嬉しかった

「そうだよな〜、そうなんだよな〜」って

そのキツい日々の先に、主人公に変化が起きてくる

そこらへんが、この物語がただの柔道部を舞台にしたサクセスストーリーではない良さで、僕がもっとも好きな所だ

だんだんと、主人公たちは辛い練習を通じて他人を認められるようになっていく

他人の存在や生き方を

「私たち北大生は、子供の頃、たまたま勉強のできる環境を与えられただけなのだ。
それだけの違いなのだ。
スポーツ界のエリートだって、たまたま天賦の体格と才を得て、たまたまスポーツに打ち込める環境を得ただけなのだ。
たまたま与えられた環境や、天から貰った才能なんて誇るものでもなんでもない。大切なのは、いま目の前にあることに真摯に向き合うことなのだ。」

このあたりのくだりはもう・・・なんかガツンときた

03



この本は、万人に進めていいものかどうなのか、よくわからない

この超体育会系の空気感が理解出来ない人ももしかしたらいるかもしれない

でも、僕はメチャクチャ響いてしまって、ラストあたりはもう・・・たまらなくせつないような清々しいような、不思議な気持ちになりました

「七帝柔道記」おすすめです

あと、こちらは講道館柔道創世記の物語

ついでに親友の佐藤くんのデビュー作も柔道マンガ!


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